母の面会のついでに奈良南部の長谷寺へ。連休も終わり人が少なく、降らず照らずの過ごしやすい気候。長谷寺駅から急な坂を転げ落ちないように静々と下り、そして上ってようやく辿り着きました
偶然にも特別公開されていた重要文化財の十一面観世音菩薩立像。高さ10m 以上。 下からみあげると、その偉大で神々しいお姿に涙が出ました。「こんなにおっきな存在に愛されているんやなぁ」
山のふもとの貧しい百姓の娘だった時、托鉢に来た若いお坊さんに頼んでこっそり拝ませていただいた記憶が…あるようなないような(妄想です)
写真の女性の様に観音様の「おみあし」に触れながら願い事をするといいそうです。あなたなら何をお願いしますか?
心臓破りの坂を必死に上って、なんとか帰りの電車に間に合いました。その日の夜は、12,000歩も歩いてくれた自分の「おみあし」に感謝して、ナデナデしながら眠りました。
大日如来はいつもフレンドリーだと確認(なんでやろ)
私のような平民が、千年以上も前の貴重な品々を愛でることができるとは…
平和な国の平和な時代に生まれてよかった、ありがとう。
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顔を見るとすぐに「まぁ、可愛いわね~」と言ってくれたけど、私の名前が出るまで何秒かかかりました。
「今日は一日中誰かを探しているのだけど、誰を探しているのか分からないのよね~」
色々話していくうちに、どうやらそれは母の母のことだったようです。
「私のお母さんも寂しく一人で暮らしているのかしら」
「もう亡くなったよ」
「えっ!いつ?」
「50年以上前よ」
「あら、そおなの?へ~っ」
殆どの記憶が溶けてなくなっても、人は「お母さん」を想うのかな。そういえば、もうすぐ母の日でした。
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Before visiting mom in Osaka, I went to "Oh! Kokuho" in Nara.
Having some extra time, I decided to go to 長谷寺Hase-dera temple in the mountain area south of Nara. The 11-faced Kan'non statue over 10 meters tall was on special display. You can touch the toes of the statue and make a wish.
My mother has forgotten that her own mother passed away more than 50 years ago. She worries that her mother might be living alone and feeling lonely. Even if most of our memories are gone, do we still think about our mother? If so, every day could be Mother's Day.
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